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10.11.02.海晏寺(南品川)春秋庵白雄墓

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写真: 10.11.02.海晏寺(南品川)春秋庵白雄墓

写真: 10.11.02.海晏寺(南品川)白井鳥酔墓 写真: 10.11.02.海晏寺(南品川)本堂

俳人加舎白雄(かやしらお)は、元文3(1738)年江戸深川の上田藩邸で加舎吉亨の次男として生まれた。本名は吉春。幼くして母を亡くし、20歳頃には僧侶を志したこともあった。
明和2(1765)年松露庵烏明に入門するが、烏明の師・白井鳥酔に大きな影響を受ける。初号の白尾は鳥酔から与えられた。芭蕉の作品を模範とし、その作風を近世後期の俳壇に定着させた。安永9(1780)年42歳のとき江戸日本橋鉄砲町に春秋庵を設立、関東、中部地方に門人3,000を擁した。この時期にも信州上田には親類が多くいたため、たびたびこの地を訪れ、白雄は上田を「ふるさと」と呼んでいた。
生涯独身、清貧孤高、その作品は無技巧、繊細な秀句が多く、「 人恋し火とぼしころをさくらちる 」は代表作。また白雄は能筆家としても知られ今日なおその書を愛する人が多い。
・上田とその周辺の白雄門人には、小島麦二(ばくに)、岡崎如毛、成沢雲帯、荒井三机(さき)、小島玉馬、宮本虎杖、倉田葛三(かつさん)、など全国にその名を知られた方々がおり、地域に俳諧を広め庶民文化の向上に大きく貢献したという。江戸時代、寺子屋が普及し「読み」「書き」を学んだ多くの人々は働きながら文芸に親しんできたが、その伝統は近・現代まで続いており、そのような庶民文化の一つの源流となったのが、加舎白雄とその門人たちである。

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