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妙本寺(鎌倉市)総門

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写真: 妙本寺(鎌倉市)総門

写真: 妙本寺(鎌倉市)

mixi記事コピペ――2014年12月08日 20:10

14.12.08.
長興山 妙本寺(日蓮宗本山 比企谷(ひきがやつ) 妙本寺)
宗派、日蓮宗
本尊、三宝尊(仏・法・僧の三宝を祀るための仏像)
寺格、霊跡本山
創建、文応元(1260)年
開基、比企能本(ひきよしもと)
※比企能員(ひきよしかず。源頼朝の乳母 比企尼の甥)の末子。前北条氏の謀略により(比企能員の変)滅ぼされた一族。当時2歳だった能本は助命された。
開山、日蓮

能本は伯父の伯蓍上人に匿われて出家、都で順徳天皇に仕え、承久の乱後には佐渡島配流にも同行した。
のち4代将軍 藤原頼経の御台所となった姪 竹御所の計らいによって、鎌倉に戻った。
文暦元(1234)年、竹御所が出産時に死去。自仏像であった釈迦如来像を祀るため、新釈迦堂の建立を遺言する。
嘉禎元(1235)年、新釈迦堂建立。竹御所は新釈迦堂の下に葬られた。
寛永元(1243)年、仙覚(天台宗。万葉集研究者)が新釈迦堂の住持となる。
建長5(1253)年、日蓮に帰依。
文応元(1260)年、能本は菩提を弔うため、屋敷を献上し法華堂を建立。
この年、北条政村の娘が比企氏の怨霊に取り憑かれるという事件が起きている。妙本寺の境内にある蛇苦止堂(じゃくしどう)は政村の建立であるという。妙本寺は当初竹御所の法華堂として始まるが、この事件によって前北条氏は比企氏の怨霊供養として法華堂建立に協力、比企一族の菩提寺としたと見られている。


●15.07.19.
ノウゼンカズラが今回の本命です((p(゜∀゜)


鎌倉巡回マップ
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1jxb6mB3DQV4YD4D4murEy9SF9Rk

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コメント (1)

  • 晴耕雨読 @黄昏の番犬

    2014年12月08日 20:12
    総門――大正14(1925)年再建。
    総門前の石塔は天明5(1785)年に現在地に移されたもので、もとは祖師堂前にあった。石塔に刻まれている文字は第二十五世守玄院日聖人の筆蹟で、ここが宗門最初の寺院という意味だそうだ。

    2017年6月21日 13:31 晴耕雨読 @黄昏の番犬 (0)

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