真夏の夜の夢 Midsummer night's dream,annual cicada
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あと4日、頑張って生き延びよ!送り火を焚く日まで。
ベランダの物干し金物のクマゼミ(熊蝉)、命尽きんとしてもはや飛ばず。
飛べなくなった蝉を手にとって見ると、無臭で、乾いていて、完成された美しい形で、そのまま芸術作品という感じがする。高村光太郎が惚れ込んだのもなるほどと思われる。
・仰向けに臥して動かぬ蝉ながらかすかに触れし指にすがりぬ(蝸牛子)
・夜なべして寝穢(いぎたな)きわれを苛むとまだきに繁き熊蝉の声(蝸牛子)
・仰向けになりて動かぬ熊蝉の秋待ちがてぬ命悲しも(蝸牛子)
・許されて今宵ともせる窓の灯(ひ)に法師の蝉のなくぞかなしき(吉野秀雄『寒蝉集 敗戦』)
・「虫はすずむし。ひぐらし。てふ。松蟲。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。」
(岩波文庫 池田亀鑑校訂『枕草子』)
・「・・・せみ声(しぼりだすような苦しげな声)にのたまふ声の、いみじうをかしければ・・・」
(角川文庫 山岸徳平訳注『堤中納言物語 虫愛づる姫君』)
ついでに、平安時代の歌人、琵琶の名手として名高い「蝉丸」の人物像は不詳であり、その名前の
由来も不明であるが、『虫愛づる姫君』の中に、童に「ひきまろ」「蝗麿」などと名づけて召し使っ
たとあることから、童の渾名から生まれたように思える。
・「寒蝉(かんせん)枯木(こぼく)を抱(いだ)きて鳴き盡して頭(こおべ)を
回(めぐ)らさず。俊寛が身の上に知られて候」(謡曲『俊寛』)
ある調査によると、歌集に詠まれた蝉の数(空蝉を除く):『萬葉集』蝉1首・ヒグラシ9首、
『古今和歌集』蝉6首・ヒグラシ3首、『新古今和歌集』蝉4首・ヒグラシ4首。
ヒグラシを偏愛する日本人のメンタリティーが現れている。
高村光太郎『蝉の美と造形』から
「セミの美しさの最も微妙なところは、横から翅を見た時の翅の山の形をした線にある。・・・又セミを横から見ず、上方から見ても翅の美はすばらしい。左右の二枚がよく整斉を保ち、外郭はゆるい強い曲線を描いてはるかに後端まで走り、内側は大きい波形を左右から合せるように描き、後半は又開いて最末端でちょっと引きしまる。」
蝉は天平机の一角に這ふ。
わたくしは羽を見る。
もろく薄く透明な天のかけら、
この虫類の持つ霊気の翼は
ゆるやかになだれて迫らず、
黒と緑に装ふ甲冑をほのかに包む (高村光太郎『?を彫る』)
クマゼミ(熊蝉)Cryptotympana facialis。
日本特産種の大型のセミである。
京阪神地区では近年クマゼミの棲息数がやや沈静化しつつあり、減少が指摘されている。
一方アブラゼミが復活傾向にあることも報告されている。
《興味深い事実》
ミンミンゼミとクマゼミの鳴き声のベースとなる音はほぼ同じであり、その音をゆっくりと再生すればミンミンゼミの鳴き声に、早く再生すればクマゼミの鳴き声となる。このように両種のセミの鳴き声には共通点があるため、クマゼミとミンミンゼミは互いに棲み分けをしていると言われる。それは、環境による棲み分けの場合もあるが、時期的な棲み分けのほうが主流である。つまり、クマゼミがほぼ終息した頃にミンミンゼミの発生が始まるということである。
松尾芭蕉「閑さや岩にしみ入る蝉の声」〜ニイニイゼミと判明
1926年、歌人の斎藤茂吉はこの句に出てくる蝉についてアブラゼミであると断定した。これをきっかけに蝉の種類についての文学論争が起こった。1927年、岩波書店の岩波茂雄は、この件について議論すべく一席を設け、文人を集めたが、決着はつかず、持越しとなった。その後茂吉は実地調査などの結果をもとに1932年6月、誤りを認め、芭蕉が詠んだ句の蝉はニイニイゼミであったと結論付けた。
In Japan, the cicada is associated with the summer season.
Since the cicada lives for only a short time they are seen as a symbol of evanescence.
In the Japanese novel「The Tale of Genji」, the title character poetically likens one of his many
love interests to a cicada
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